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仏人飛行家と日本の美しいこころ [こころ]

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1936年パリで開催の「懸賞飛行レース」は、パリと東京を100時間以内で飛行する大会で、一人の仏人パイロット、アンドレ―・ジャビー氏が、愛機シムーンで、パリ(フランス)-ダマスカス(トルコ)-カラチ(パキスタン)―アラーハーバード(インド)-ハノイ(ベトナム)-香港(中国)-東京(日本)を目指して、12月19日香港から最終地の東京に向かい飛び立ちました。

然しその途中、九州の近くで、燃料が少なくなり、また天候も雲が多くなって視界が悪くなります。

この為ジャピー氏は、飛行の危険を避けるため、航路途中の長野県野母崎半島から、福岡県博多湾の鷹ノ巣飛行場に避難することを考え舵を切りましたが、不運にも、雨と霧の暗い雲の中から突然現れた、佐賀県の背振山を避けきれず、その山腹に衝突してしまいました。

その時、この背振山に、炭焼きを生業とする村人がいました。

炭焼き小屋の一人が、乳白色の雲の中に轟音を聞き、雷かな?と問いかけると、他の男があれは飛行音では?。しかしこげいな悪い天気に飛行するとんだもの好きがいるのかと、話し合っていたそうです。

また山の麓では、雲の合間に、真っ赤な小さな飛行機が酔っぱらって飛んでいるような風景を目撃していました。

炭小屋では、その爆音が次第に頭上に近づき、男たちは、天を見上げてその飛行音が頭上を越えて間もなく、飛行音が消え、ザザザ・・と言う気をなぎ倒すような激しい音が聞こえ、男たちは、飛行機の墜落を察知し、直ぐに、一人は村に消防組に救援を頼みに、他のものは、冷たい雨と風の中をその捜索に山頂に向かったのです。

4時間が経過し消防組とも合流して、辺りが暗くなって諦めかけていた時です。

突然消防団が連れてきた犬が吠えたのです。

皆犬の方角に向かって走ります。

そして、間もなく、ばらばらの機体の操縦席に血まみれの外国人を発見しました。

この時の村人も外国人も、互いに異なる国民を見るのは、初めてのことで、相手を見て大いに驚き、恐怖を感じ、その救助に戸惑いがあったと言います。した。

ジャビー氏も後に、暗い闇の中で、提灯をぶら下げ、蓑笠を纏い、手には鉈(なた)鎌や鋸(のこぎり)を持った人間を見て、アジアには山賊や人食いがいる聞いていて、自分の死を覚悟したと記しています。

死を覚悟したシャビ―氏の決死の「フランス、シャビー、東京」の唸り声に、村人は我に返り、その中の牛島医師は、頭部の深い裂傷、右肩と左足の骨折のシャピー氏を手慣れた応急手当を施し、飛行機に備え付けのパラシュートで担架を作り、深い山道を的確に村に搬送さして手厚い介護を行いました。
その後に、九州帝国大学病院に送られて、シャビ―氏は、これ等の治療と看護で一命をとりとめたのです。

帰国したシャビ―氏は、再度来日して背振村を訪れて、婦人部も加わり町ぐるみで救出してくれたことに、「メルシーボクー」と感謝の言葉を伝えたそうです。


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