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北朝鮮のミサイルと平和ボケ日本の恐怖 [戦争]

9日、トランプ米大統領は、北朝鮮のグアム米軍基地にミサイルを発射する威嚇予告に対して、若しそのような攻撃が行われれば、北朝鮮は、今までの歴史に無い大きな破滅を見るであろう。と警告しました。

これは【ソウル時事】の10日の朝鮮中央通信で、9日に、北朝鮮軍の金絡謙・戦略軍司令官が、中距離弾道ミサイル「火星12」4発を同時に米領グアム島周辺に向けて発射する計画を検討していると表明したことによるものです。

この計画は、北朝鮮のミサイルが「島根、広島、高知の各県上空」を通過し、グアム島周辺30~40kmの水域に着弾することになると報道したことへの忠告です。

北朝鮮のミサイル飛行距離予告計画は、3356.7km、飛行時間は1065秒(17分45秒)を想定し、8月中旬までにその作戦計画を最終完成させて、核戦力の総司令官である金正恩朝鮮労働党委員長に報告し、その後は、発射待機態勢で命令を待つことになるとしています。

この発表の狙いは、特に米国に対し、具体的な作戦計画を公表することで、米国や日本を強くけん制することです。

この報道に日本国民はどの様に受け止めているのか?が問われます。

いざ北朝鮮と米国の開戦となれば、日本国民は数分内で避難を完了しなくてはなりません。単に平和憲法を口にする平和ボケの日本は、その被爆防御の知識も準備も無いまま、広島と長崎の原爆以上の大被爆惨事を招くことになります。

平和憲法が北朝鮮のミサイル発射を止める事は出来ないのです。
韓国も米軍も日本の被爆を防ぐ事は出来ないのです。

そんな危機意識欠如の現在の日本国の空気に、開戦の恐ろしさを禁じえません。





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戦争の正義は「勝てば官軍」の狂人の世界 [戦争]

スタンフォード大学フーヴァー研究所教授の著書の一部に、次の一節があります。

マサチューセッツ工科大学学長カール・T・コンプトンは、アメリカ空軍の爆撃の
見事さに驚き、トルーマン大統領への報告書の中で、「自分の目で確かめた破壊の
方が、偵察写真に基づく報告よりずっとひどく、東京及びその周辺都市は210平方
マイルの全域のうち、約85平方マイルが灰の山です」と記述した。

エマーソンはバーンズ国務長官に、「経済の危機、飢餓の恐怖、闇市をあてに生きる
狂気じみたその日暮らしの生活が、日本社会のあらゆる階層に広がり、全ての日本人
の考え方を左右しております。

......政党、選挙、民主主義、天皇といったようなことは、茶碗が空の時には空理空論
の類いであります」と報告した。

1946年5月29日、吉田首相は「我が親愛なる元帥様」宛に手紙を書き、
「元帥の深い配慮があったからこそ、我々は暴動が起こるほど差し迫った危険な状況
を和らげることができました」と、114万キロの小麦粉に対する「深い感謝の念」
を伝えた。

とあります。

私は戦争中地方に疎開していましたので、幸い爆撃には遭いませんでしたが、敗戦の
悔しさや、食糧難に同様の思いがありました。

ただ、この記事の中の、「灰の山」を、「米軍の見事な爆撃と表現しているこ」に、
被爆殺戮した数十万の日本人に対する懺悔の言葉がないことに、痛烈な憤りを感じました。

そして、吉田首相の「深い感謝の念」とは、どの様に受け止めればよいのでしょうか。

戦争の正義は、狂人の戦う「勝てば官軍」であることを、物語る一節です。



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パラオ共和国と日本の委託統治の絆 [戦争]

パラオ共和国は、日本より3000kmの南、フィリピンとガアムの中間にある親日国です。


現パラオ共和国は、第一次世界大戦中まで、ドイツの植民地として統治されていましたが、
日本は、これら列強国の世界植民地主義政策を非難し、植民地解放を掲げて、1914年、
(大正3年)、当時のペリリュー島とアンガウル島に侵攻して、これらの島を開放しました。


その後31年間それらの島は、日本の委任統治国となり、日本はそれら島民の教育や
社会インフラを整備しましたが、日本敗戦の第二次世界大戦終了後は、パラオ共和国
として独立を宣言し、現在に至ります。


そのため、日本文化風俗が色濃く残る国となり、統治国日本の軍人精神、特に第二次世界
大戦の激戦で、全島民を救った中川州男大佐の良識が理解されて、国旗も日本国旗の
日の丸に似たものとなったのです。


両島とも、激戦地となったため、破壊尽くされたのですが、日本軍委託統治の敬意と感謝が、
未だに、当地の慰霊記念日として残されている国です。




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激戦地ペリリュー島で平和を愛し妻を愛し日本を愛して自刃した中川大佐の戦争 [戦争]

8月15日は、日本の終戦記念日です。


この日8月15日は、日本の、連合国に無条件降伏での敗戦を、ポツダム宣言受諾した日であり、
212万人と言う膨大な将兵犠牲に終止日となった日であり、日本国民は、この戦争の無意味さを
忘れることはできない日、そして、日本国民は、二度と戦争をしないと誓った日でもあります。


その第二次世界大戦の日本と米国との口火を切った島が、ペリリュー島です。


その司令官に任命されたのが、歩兵第15連隊隊長の中川州男(くにお)大佐と言う人ですが、
当時、軍神の誇りある死が尊ばれる中で、日本を守る最前線にある我々は、1日でも米軍の
日本上陸を遅らせることが軍人の務めであり、我々は守ることであり攻めることでは無いと、
部下に厳命し、我々は愛のために戦う。と、無駄死にの玉砕を戒め、生きる尊さを教えた。


サンゴ礁でできたペリリュー島は、硬い岩盤の川の無い島で、湧水の確保と硬い岩盤を活かし、
その島全体を地下要塞に変えて、圧倒的戦力の米軍を迎え撃ったのです。


1944年9月15日、この小さな島の攻略は数日で終了すると考え、猛火を浴びせて上陸を開始した
アメリカの歴戦の第一精鋭部隊は、予期せぬ壊滅となったのです。


しかし、物量に勝る米軍は、次第に島を包囲し、日本からの補給を切っての火力による猛攻が続き、
次第に兵力も弾薬も水も尽き、遂に2ヶ月に及ぶ戦いに終止符が打たれた。

中川大佐は、部下の死は自分の責任として自刃し、既に死を覚悟の部下には、なお生きて日本の
ため家族のために戦えと言い残しました。


又、中川大佐は、島民が共に闘うと言う申し出でを拒否し、全ペリリュー島民を事前に離島させ、
一人の死者も出さなかったと言います。(島民はその後の国の独立戦争に参加、現パラオ共和国)


戦後、32人の生き残り兵が判明し、これらの地獄の苦闘を証言をしています。


この作戦は、次の激戦地の硫黄島、沖縄戦にも生かされ、生き残るため戦に活かされましたが、
中川大佐は、人類は、これらの殺戮の歴史を知っていながら、何故,かくも双方に無意味な戦いの
歴史を繰り返すのだろうか。そして、妻には、まだ数万年はかかるだろう。と話していました。