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日本はどこえ行くのか? 日本憲法と中国のキャベツ戦略

中国の一帯一路海路戦略に、中国は、フィリピン人が何世紀も漁業をしていた南シナ海の、ベトナム、マレーシア、フィリピンからの中央部に位置する、スブラトリー諸島の6諸島を軍力で占領し、それを人工軍事基地とし、その周囲24kmを一方的に禁漁区域に指定しました。

6諸島とは、渚碧礁、ガベン礁、ファイアリークロス礁、ジョンソン南礁、ヒューズ礁、クアテロン礁、です。

キャベツ戦略とは、民間船や準軍事船でその岩礁や島の周囲を、キャベツの1枚の葉で取り囲む、この小さな侵犯を時間をかけて、幾度も度重ねてそれを既成事実化し、自己の領土にする戦略を言います。

この卑劣で巧妙な手口に対して、東南アジアの被害国は抗議はしますが、戦力の差、国力の差、目先の国益を天秤に諮り、戦火を交えることなく、その侵害を泣き寝入りする現状です。

日本の尖閣諸島への年700回を超える侵犯もこれと同様のものです。
小笠原諸島や伊豆諸島でも密漁が続き、海底は砂漠化されました。

沖縄の独立をテーマにした国際会議も中国の北京で、「琉球・沖縄最先端問題國際学術会議」として、中国では公に報道され開催されています。

日本全国の水源地の中国買収も進んでいます。また、中国人の不法移住の210000人ほどが国内で失踪していると言われます。

日本全域における中国によるこれらのキャベツ戦略が、着実に積み上げられているのです。

日本国民は、これらの情報は報道されず、平和ボケのまま、これらの課題を知る人も少数で、この侵略に無関心であり、日本の政府も平和ボケのまま、この着々と進行する国土の侵略を容認しているのです。

共産党は一党独裁体制であり、世界の中国国民は国の命令で、即、民兵組織に変化します。

日本憲法は、国の防衛に隙だらけで、害虫の美味しい餌となっているのです。
独立日本の、真の平和憲法が待ったなしに必要なのです。



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錦織圭ウインブルゾン2019シングルス準々決勝フェデラー戦は? [全仏オープン]

錦織圭ウインブルゾン2019シングルス準々決勝は第2シードフェデラー戦
今年も錦織圭第8シードとロジャー・フェデラー(スイス)第2シードの
対決がやってきました。

対戦成績は、フェデラーの7勝3敗で錦織をリードしていますが、直近では、
錦織が昨年のファイナルでストレートで勝利しているので、均衡の試合に
なると予想されます。

第1セットは、フェデラーのサービスで開始されましたが、その第1Gを錦織は、
リターンウィナーを決め、幸先よくブレークして、期待を持たせてくれました。
その後も、キープを続け、この流れに乗り、第1セットを6-4で先行します。

第2セットは、錦織のサーブからの開始ですが、フェデラーの切り返しで、
逆にリタ―ンを決められて、第1Gをブレークされます。
このセットは、フェデラーが終始前からの速い攻めとサーブでリードし、常に
先に仕掛けて、その流れを持ち続けて、1-6の大差で錦織を圧倒しました。

第3セットは、フェデラーのサーブで開始され、錦織は巻き返しを図りますが、
このセットのフェデラーのサーブが冴え、フェデラーの流れを止められず、
逆に錦織の1stの確率が落ち、第2と第6Gのブレークを許し、1-6の完敗でした。

第4セットは錦織の最終勝負となり、錦織の反撃を期待しましたが、1stの確率や
その切れが悪く、その隙を突かれて、ポイント先行を許し守勢の展開でキープ
しますが、遂に耐え切れず、第9Gでぷーくされ、第10Gもフェデラーのサーブが
衰えず、遂に4-6で落とし、SC:1-3で幕を閉じました。

この試合の山場は、第2セットのフェデラーのサービスの確率と先手攻勢で勝ち、
この流れが最後まで続いたことにあり、錦織のサービスゲームで、フェデラー
リードの流れを断ち切れなかったことにあります。

フェデラーはこの試合で、大会通算100勝目を飾りました。



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錦織圭ウインブルゾン2019第4回戦 [全仏オープン]

錦織圭ウインブルゾン2019第4回戦は、ミハイル・ククシュキン(58位)カザフスタン31歳が対戦相手です。

ククシュキンは、右利きで両手バックハンド、サービスとも強力ですが、2012年までの対戦成績は、9戦全勝で、相性の良い相手と言えます。

が、今回はシード33位、レナード・ストルフ(31歳)29歳を3-1で破っての対戦で、かなりの実力者と言えます。

第1セットは、錦織のサーブから開始され、その第4Gで、バックのダウンザラインを決めてブレークし、第5Gの反撃のピンチを凌いで、6-3で先行します。

第2セットは、ククシュキンのサーブからで、8Gをブレークし、9Gをキープして、3-6で
ククシュキンが逃げ切り、対とします。

第3セットは、錦織のサービスゲームで、各ゲーム激しい攻防の中、錦織が8Gをブレークし、6-3で勝利。

第4セットは、ククシュキンのサーブですが、錦織が幸先よくその第1Gをブレークします。
が、第2Gをククシュキンにプレークバックされ、錦織が第3Gをブレーク、ククシュキンが、第4Gをブレークバックと目まぐるしい攻防の展開となり、第5Gで錦織のアドバンテージから、ククシュキンがダブルフォルトで落とします。
第6Gは、錦織がククシュキンに2Pを先行されてピンチに立ちますが、サーブとウィナーを
決めて並び、デュースからのストローク戦で、ククシュキンにミスが出て、錦織が6-4で取り、セットカウント3-1で錦織は準々決勝に進みました。

この試合時間は、2時間43分の激戦で、両者死力を尽くした素晴らしい試合でした。

錦織圭は、これで2年連続のベスト8獲得となり、次は、更なる強敵、フェデラーと対戦です。



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戦前の欧米は白人主義の人種差別植民地獲得の世界(2) [第二次世界大戦]

モンゴル国境でのノモンハン事件後、日本軍部はロシアの諜報謀略にはまり、「南進論」に転換し、中国東北部の侵略で、中華民国軍と衝突が起こり、満州事変となります。

結果満州事変で中国に勝利して、満州国を建国しますが、これがもとで、1937年には全面的な日中戦争に突入することになります。

これが、英米の植民地を攻撃することとなり、この日本の軍事強国路線に警戒心を持ち、面白くないのが、白色植民地覇権大国の欧米です。

この間の1914年のオーストリア=ハンガリー帝国の第一皇位継承者が首都サラエボで暗殺された、サラエボ事件からセルビアとの紛争から、関係諸国が絡み、連合国と中央同盟国の2分化された対戦で、ヨーロッパ全域を巻き込む100年戦争の大戦となり、これが第一次世界大戦です。

日本はこの時点では、大日本帝国と称して、連合国側のアジアで参戦し、主にドイツ植民地の奪還に当たっていました。

第一次世界大戦は、1918年11月11日に休戦協定が結ばれ、翌19年1月、講和協定が、ベルサイユで行われ、ドイツは敗戦国として、植民地の放棄、軍備解体、多大な賠償金を課せられます。

戦後、この蓄積された国民の恨みが、ナチス台頭の要因となりました。

巨大債権国の米国は、その後世界の主導的立場となり、1922年、ワシントン会議で、東南アジアと太平洋における植民地主義の大国中心利権による再編成をえ行い、日本は、中国内のドイツ植民地利権、シベリア侵攻地域からの撤退、海軍軍備制限、を呑むこととなりました。

その後、英米は日本軍の南進を阻むため、経済封鎖に踏み切り、日本を孤立化させます。

これが、第一次世界戦争中に日本が行った、東南アジア植民地解放を目指した大東亜戦争から、ナチス台頭で英仏に宣戦布告し、イタリアと共戦同盟し、そして、日本も同調し、独伊日同盟を結成したことで、連合側から反感を買い、これが、米国と対峙理由とされ、米国主導の第二次世界大戦への導火線となったのです。



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戦前の欧米は白人主義の人種差別植民地獲得の世界(1) [第一次世界大戦]

欧米の白人覇権主義からの人種差別で、世界の他国を植民地とし、自国の冨を増やすのが、
世界の常識で、植民地の有色国民は、すべて人間ではなく動物として奴隷として、海洋国の
自国力拡大の時代に、ドイツのヒットラーは、白色民族のサラブレッドとして陸の資源拡大
を求めてロシアに戦いを挑み、第一次世界大戦に突入します。

当時欧勢のスペインや英国は、国外植民地支配域を、東南アジアはもとより、清国(現在の中国)まで広げ、日本に迫っていました。

当時は海軍勢力が主で、スペイン艦隊、英国艦隊、その後のロシアのバルチック艦隊と世界の制海権域を争っていましたが、これら覇権国の植民地拡大を背景に、まだアメリカ開拓で新王国途上の米国は、戦備品供給で多大な利益を上げ、債権大国となってゆきました。

清国はこの時期、朝鮮(現在の朝鮮半島)を治めるため南下しますが、時の朝鮮王朝と友好関係にあった日本は、朝鮮の独立党擁護のため、清と対峙し、1894年に日清戦争が勃発します。

結果、日本は勝利し、下関条約で台湾と澎湖諸島を獲得します。

その後の1904年の日露戦争で、ロシアの世界最強と言われた難攻不落の旅順要塞を陥落し、世界最強と言われたバルチック艦隊を打ち破り、日本は一躍世界の軍事強国となったのです。

この戦利品は、満州と朝鮮からの撤兵と樺太南部の割譲で、満州南部の鉄道及び領地の租借権、大韓帝国に対する排他的指導権を獲得しました。この時の仲介は、新大国となった米国でした。

その後、この満州鉄道と領地の租借権から日本は利権確保から関東軍を派遣し、満州国の開拓に着手します。

その後、モンゴル国境でのノモンハン事件から、軍部はロシアの諜報謀略にはまり、「南進論」に転換し、中国東北部の侵略から、中華民国軍と衝突が起こり、満州事変となります。

結果満州事変で中国に勝利して、満州国を建国しますが、これがもとで、1937年には全面的な日中戦争に突入することになります。

これが、英米の植民地を攻撃することとなり、この日本の軍事強国路線に警戒心を持ち、面白くないのが、白色植民地覇権大国の欧米です。(次回に続く)



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